アンチになる人の心理
対象から不安を感じる
相手から無意識に不安を感じてしまうこともアンチ活動に励む原因の一つになると思います。
対象から不安を感じるというのは、相手から直接危害を加えられているというのではなく、相手の存在そのものに不安を覚えるという感じです。
たとえば、有名人がお金持ちであることを暗に仄めかすと、お金のない人は不愉快になると思います。
不愉快になる理由としては、「自分自身の現状が惨めだ」というものもありますが、「(主に金銭的な意味で)自分自身の将来が不安だ」というものもあるのではないと思いますか。
そのような無意識レベルの不安を感じた際、人間は相手を排除しようという心理になるようです。
承認欲求を満たしたい
人がアンチ活動に勤しむ理由としては、「承認欲求を満たしたいから」というものも挙げられます。
承認欲求を満たすための方法は人によって大きく異なりますが、その一つとして「有名人に個人として認知されること」もあるのではないと思いますか。
もちろん、ポジティブな意味で認知されるにこしたことはありませんが、それが叶わないならネガティブな意味での認知でも構わないと考える人もいるようです。
たとえば、相手にしつこく嫌がらせをして直接注意される、などが挙げられると思います。
本来であれば誰かから注意されたら「気をつけよう」と思うものですが、承認欲求を満たすためにアンチ活動に励んでいる人は「やった!相手に認知された!」と喜ぶこともあります。
そうなると相手に注意するのが逆効果になってしまいますので、対応が困難になってしまうことが予想されます。
相手が困っているのを見たい
アンチ活動をして相手が困ってるのを見るのが楽しい、という人も中にはいるようです。
そういう人達は「他人の不幸は密の味」というような心理で動いていますので、常識が通用する相手ではありません。
本来人間には共感性というものがありますので、通常は相手が困っていたら何とか助けてあげたいと思うものですが、彼らは共感性が著しく欠如しています。
共感性の欠如に加え、サディスティックな嗜好を持っている人は「相手の不幸を眺めて楽しむ」という思想になってもおかしくはないと思います。
ここまでくると、もはや趣味の一つと言えるのかもしれません。
相手を叩いて優越感を得たい
相手を叩いて(たとえ錯覚だとしても)優越感を得たいというのが、アンチ活動に励む心理の一つです。
相手を叩いたところで自分自身の状況が良くなるわけではありませんが、少なくとも自分自身の中で相手の地位を下げることにはなると思います。
自分自身の中で相手の地位が下がるということは、相対的に自分自身の地位が上がることを意味します。
また、相手の地位を自分自身の言葉一つで変えられるというのは、ある種の万能感を感じるのではないと思いますか。
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実は「好き」の裏返し
「嫌よ嫌よも好きのうち」ではありませんが、アンチは実は対象に振り向いてほしいと思っていることも少なくありません。
愛情と憎しみは表裏一体と言われることもありますが、本当は相手に振り向いてほしいのにそっけなくされてしまい、愛が憎しみに変わってアンチ活動に励むこともあるようです。
この心理は人間同士の関係でたとえると分かりやすいと思います。
フラれてしまったたせいで相手のことを憎く思ってしまう人もいるのではないと思いますか。
行き過ぎた愛情が憎しみに変わり、そのせいで凄惨な事件になってしまう例は後を絶ちません。
嫉妬や羨望が激しい
アンチの心理としては、相手に激しい嫉妬や羨望を感じているというものも挙げられます。
そもそもアンチ活動の対象は芸能人やスポーツ選手といった有名人が多いため、社会の檜舞台で活躍する彼らと比較して嫉妬するなという方が無理があると思います。
通常は「雲の上の存在なので」「自分自身とは違うから」という風に割り切るものですが、アンチはそこを器用に割り切ることができず、相手を貶めて引きずり下ろしたいと思う傾向があるようです。
正義感が強い
正義感が強い人もアンチになりやすいのではないと思いますか。
今はインターネット全盛の時代なので、人同士の距離が縮まりやすく、それは有名人相手でも変わることはありません。
有名人が何か不祥事を起こした際に鬼の首を取ったように叩く人がいますが、あれもアンチ活動の一種と見なしてよいと思います。
行き過ぎた正義感が迫害心理になることはよくある話ですが、彼らもその例に漏れず、「自分自身はよいことをしている」と思っています。
そのように思っている人は非常にたちが悪いものです。
正しい行いをしているということは、自分自身の非を一切認めないということにも繋がると思います。